明日のヤサイノイトウさんの野菜は、下記です。
セロリ、半白きゅうり、いんげん、ピーマン(緑やクリームなど数種類)、ナス(フィレンツェ、縞なす、長岡巾着なすなど数種類)ナスは出始めで、数は少ないとのこと。
わらしべ農園さんのバジルがとてもいい香りを放って、あります。
明日のカフェは、完熟梅入荷でバタバタと忙しく、お休みです。
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おいものせなかだより7・8月号ができました!
ウラコラム
パリに行った。 2024.7.11
6月に2週間も休みをもらって、パリに行ってきた。きっかけは、娘が昨秋から語学の勉強でパリに暮していて、今年の2月冬期うつっぽい私が、「どこか行きたいな~」とつぶやいたら、娘が「パリに来たら?」 「え、パリ!そんなの無理だよ」「私のマイル使ってエールフランスで安く行けるよ」「ホント?でも冬は寒そうだから花が綺麗な6月がいいなあ。でも店はどうしよう。野菜は?卵は?休めないよ」「どうにかなるよ!1週間じゃ短いよ」
私は悩んだ末に、まだ元気なうちに行けるチャンスがある時にと決断して、「この日程で行こうかな」と娘に伝えたら、「あ安いのがなくなってる!」えー?ガッカリ!(泣)翌日「あ、ANAがセール始めた!安い、ANAどうした!」 「いくら?」 「直行便で往復13万円台」 「それで安い方なの?」 「何言ってるの。JALとかANAは30万位するよ、安くなっても20万切ることないから、これはとんでもなく安いよ。今決めないと明日にはなくなるよ!早く日程を決めて」と14万円台の日程で手を打った。
野菜が一番の気がかりだった。野菜の収穫が盛んになる時に2週も休むのは、農家にもお客さんにも迷惑がかかる。3月の夫の法事に帰省した息子にそれを言ったら、「店はおれが店番してもいいよ。お母さん行っておいでよ」えームンク!まさかの展開。何かと心配の種だった息子が救世主に。パリでは娘が全部アテンドしてくれる。ラクだ。しかし、たった数日のスペイン旅のために始めたスペイン語の勉強が、できない焦りと不安が増大して超ストレスに。アホだ。直前になって、何とかなるさ!で、パリに飛び立った。
旅行者が行ってみてガッカリの観光地の第1位がパリというのを何かで見た。だって、花のパリだもんね。娘は「期待し過ぎるからダメなんだよ」以前アジアにフェアトレードの仕事に行ったときも同じことを夫に言われた。せっかくお金と時間をかけて行くからと何かを得ようと期待するのは、純粋に旅を楽しめないからダメだと。確かに、思うような収穫が得られないと、帰国して必ず落ち込んでいた。貧乏根性だな。今回私は自分を変えたいのと店を良くする参考になればとちょっとだけの期待でのぞんだ。
一応テーマは食とアートと暮らし。街の風景にまず感動。パリの街並みは古い歴史的建物が延々と続き、どこも絵になる。街路樹が多く、歩道が広い。レンタル自転車がズラーと並んでて、自転車専用道路がある。日本のような近代的なビルは見かけない。ビオ(オーガニック)ショップやビオコープがあちこちにあり、スーパーにもチーズ、牛乳、ワインなどいたる部門で必ずビオがある。野菜や果物は量り売りで、腐りかけでも曲がっててもドンマイ!自分で茶袋に入れる。おじさんや若い男性もマイかごを持ってビオショップのレジで並ぶ。その浸透ぶりにはびっくり。
そして、パリジェンヌもパリマダムもカッコいい人が多い。なぜだと見ていたら、姿勢の良さと歩き方か。しかし、娘いわく、「自分に自信を持っているからだよ」日本人は自分の考えを主張せず、人に迷惑をかけないように、皆と同じでないと叩かれる。以前表参道の信号待ちで知らない外国人に、「日本人女性は皆自信なさそうなのに、なぜあなたは自信ありそうなの」と声をかけられた娘は、パリに来て東京にいた時より解放されたという。
更に、お店に入る時は「ボンジュール」と挨拶し、何も買わずに出る時も、「オルボワール、メルシー(さようなら、ありがとう)」と言って出る。お店の人も笑顔で挨拶。娘のアパートで住人とすれ違う時も必ずボンジュール。夫が昔店番をやっていた時、「お客さんに挨拶しても返してくれないんだよね」とこぼしていた。「今はスーパーで黙ってレジを通るのに慣れてるからね、でも声かけても返ってこないのはさびしいよね」この挨拶や姿勢の良さは真似したいもの。
フランス人は個人主義でプライドが高く冷たいイメージだったが、私が会った人たちは皆笑顔で優しかった。アフリカ系やアジア系の人が多く、移民を受け入れている度量の広さにも驚いた。
実は、こうして旅のことを書くのにも勇気がいった。私は人目を気にしない方だと思っていたが違っていた。長く経済的に厳しかった私なのに、今回の旅行は贅沢かな、行けない人もいるのに…、隠し通して行こうか?ムリだ。2週間の不在にお客さんは、「どこか行くの、またアジア?」と聞かれて、「う、フランス…パリ」とモソモソ答えると、「えー!いいねー!」と皆驚くが好意的。「報告が知りたい」「元気が出る」「いつか私も」という声に背中を押されて、いや開き直って、ブログにも旅行記をさらけ出した。自信がなく、人にどう思われるかを気にする日本人は、私だった。
また、2週間もいれば、「いびきがうるさい」「姿勢が悪い」などと娘にダメ出しされて、横向きに口閉じて寝る。居候はつらいよ(笑)。時々疲れた顔の娘を見て、「ごめんね、悪いね」と言い過ぎて、「そんなこと言わないで。私もママとの旅行を楽しんでるから!」逆に、娘に悲しい想いをさせてしまった。
そういえば、出発前に娘に迷惑をかけるよねとつぶやいたら、息子が「(妹に)いっぱい迷惑をかけていいんだよ」と。息子は小さい頃から人づきあいが苦手で心配だった子だが、毎日店の業務報告をしてくれて、接客も楽しんでいたようだ。娘は高校でよく生活指導の先生に注意されていた。大学時代も仕送りゼロ。好条件で勤めていた会社を辞めて20代のうちにとパリへ。援助なし。物価高のパリでよく生活してるねと心配すれば、「お金はなくなったら稼げばいいし、今しかできない経験や時間の方を大切にしている」
![[指でOK]](https://blog.seesaa.jp/images_e/204.gif)
ああ、私も若い頃海外に飛び出たかった…。
エッフェル塔やシャンゼリゼ通りへは行かなかったが、マルシェで果物や野菜、スーパーでチーズやワインを買って、雑貨屋をのぞき、最高で17㎞、毎日街歩きして晩ご飯。夏至の音楽の日は路上演奏で街中盛り上がり、日曜はパレスチナ支援のデモがあり、暮らすような旅ができた。
生活に追われて働き詰めだった私に、パリなんて夢の話だったが、今回偶然のチャンスに乗れた。お金は後から何とかできると娘から教わった。頑張っても報われない、運が悪いのかといつのまにかネガティブ思考になっていた私を、ポジティブで運がいい娘が背中を押した。息子も助けてくれた。自分の思考を変えることで、またチャンスが来るかもなんて思えてきた。その時を逃さずつかめるよう、日々頑張ろう。若い頃の感性は失われ、念願の放浪の旅の旬は過ぎたであろう。でも、諦めたら夢は終わり。高齢でも、その時々に挑戦する気力と体力を持ち続けたいと、思う。